岩切発・杜のわくわく掲示板 郷土を愛する皆様の情報発信をサポートします

青麻神社

 元禄十一年(西暦一六九八年)、山火事により古記録等を焼失せるにより不詳なれども、社伝によれば、第五十五代文徳天皇の御世の仁寿二年(西暦八五二年)、現社家の遠祖穂積保昌が山城国(現京都府)よりこの地に来たり、里人に麻の栽培を教え、且、一族の尊崇せる日月星の三光神即ち天照大御神・天之御中主神・月読神の三神を清水湧く山峡の岩窟中に奉祀せしが本杜の創始と伝え、社名・地名も麻の栽培より起り、神紋も又麻の葉を用いる。仙台藩封内風土記(西暦一七七二年成立)にも、「岩切邑 本邑山中青麻と号する地あり 往古この地麻を植う 故に以て地名と為す 岩窟あり高さ一丈余・・・」と記している

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八坂神社

 建久元年(1190年)6月7日、後の高森城主となる伊沢家景が京都の祇園から勧請、岩切村余目に鎮座し、神田二十石の地を治めた。その後、岩切村台ケ原頂上に座して天王山と称したが、戦国天正の頃より社殿が荒廃し、祭事を欠くに至った。  藩主伊達政宗は寛永年中、天王山より現在の地に遷宮し、祭田二石の地を寄進して厚く祭事を行う。神仏習合の際より祇園牛頭天王社と称したが、明治の初めに現社号(八坂神社)に改め、明治6年に郷社に列し、大正3年12月に幣帛供進社に指定。明治43年4月。各区内鎮守社を本社に合祀した歴史を持つ

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東光寺

 東光寺。仙台市の北東の外れ、隣町の利府町との境界に近い地域にある。寺の背後は高森山という自然丘陵。寺は高森山の南東の尾根が七北田川という大きな川に落ち込む場所にある。 寺の前には今市橋という橋が架かっていて、橋を渡った突き当たりが寺の参道だ。黄色い築地塀や辻堂が寺の存在感を高めている。

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耕田寺

 当寺(福地山 耕田寺)は、仙台市青葉区北山の 金剛宝山 輪王寺の末寺です。 岩切の今市街道筋の新田開発 発展に寄与した兵藤大隅信俊と今市足軽102人の菩提供養の寺として開山されました。 先代林源基住職の代、昭和33年の火事で全焼し、その後原ノ町の単立寺院 陽雲寺様の位牌堂を譲り受け、仮の本堂として再建を目指しました。その願い叶わず、宮城県沖地震で被災され、先代住職は遷化されました。 現19世青山住職入寺後、本堂庫裡書院を再建。 同時に仙台市からの指導により山崎西(現在の鶴が谷東、燕沢小学校向かい)の墓地を霊園として、すべて改葬し区画整理する。 12期霊園工事のあと東日本大震災の被害で本堂庫裡書院、山門、塀すべて全壊。 この度、再建のため、順次解体、再建する事となりました。 この付近は利府長町断層が、お寺の真下にあり、修復叶わず、やむをえず解体することとなり、現在2017年4月まもなく庫裡解体の予定。 完成は2019年春を予定。

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白寿殿 岩切

平成26年、岩切青津目に「白寿殿岩切」オープン

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セレモニア岩切利府
楓(かえで)会館

平成18年12月 仙台市宮城野区岩切に「セレモニア岩切利府 楓会館」オープン
個人葬、社葬、団体葬など、故人にふさわしい形でご遺族皆様の希望に合った葬儀をご提供させていただきます。

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仙台つばめさわ斎場清月記

当社は、お客様の気持ちとなってご葬儀のお世話をさせていただくことを常に念頭においております。
最新の設備を有する会館葬におきましても、ご遺族に心安らかに葬儀を進めていただくサポートを させていただくことが、私たちの使命でございます。

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泉典礼会館

大切な方をお送りしなくてはならないご葬儀は、人生の中で最も悲しい瞬間の一つです。
悲しみを癒す唯一の方法が、故人様の為のご葬儀を悔いの無いご葬儀にする事だと思います。
これからもお客様のお気持ちを汲み取り、悔いの無いご葬儀を提供できるよう努めて参ります。

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